活き活き「人」

活き活き人、フラメンコに行くの巻

活き活き人担当スタッフ・及川です。9月中旬、第13回活き活き人の石黒さんから、メールが届きました。「金曜の会に参加している、光安理恵さんが出演する、フラメンコスクールの発表会が9月末にあります。一緒に観に行きませんか?」とのこと。わたしは実はタンゴが好きなんですが、フラメンコもわりと守備範囲です(どちらも、踊りを支えるバックの音楽がいいんですよね♡)。というワケで、当夜の会場となった釧路市民文化会館のロビーで、石黒さんと待ち合わせとなりました。

フラメンコイメージ画像
←フラメンコ
※写真はイメージです







そこへ『第三の男』ならぬ第三の女性の姿が。先日の裸心・網走バスツアーでブレイクの予感を漂わせた、参加者の「松ちゃん」こと、松本祐子さんでした。松本さんと光安さんは、英会話スクールで知り合った友人同士なんですね(^.^)石黒さんの発案で花束を贈ることにしていた3人は、開演前の控え室へと潜入。そこでドレスに着替え、本番を待つ光安さんの姿を発見!エキゾチックなメイクが、フラメンコの本場・スペインをほうふつさせますネ。さすがに本番前の緊張は隠せないようでしたが(笑)。フラメンコ写真2





←光安さんの美しいドレス姿に
つい顔がほころぶ石黒さん(爆)。







フラメンコ写真3

←光安さんを囲んで記念撮影デス。





光安さんのフラメンコ歴は1年5ヶ月だそう。この夜、光安さんは写真のドレスのほか、衣装替えでもう1着のドレスを着用していたんですが、値段をおたずねしたところ「新品で4万5千円くらいです。ソロで踊るような人がオーダーしているドレスは15万円くらいする物もあるんですよ」とのことでした(汗)。2部構成のプログラムの中、光安さんは第1部の群舞「タンゴ 〜Tango〜」、「セビジャーナス 〜Sevillanas〜」と、出演者全員による第2部のエンディング「フィン・デ・フィエスタ 〜Fin De Fiesta〜」で舞台に出演。特に「セビジャーナス」では、ステージに登場した7人のダンサーの中、前列に並んだ3人の中央で踊るという、なかなかのポジションだったんですが、スラリとしたドレス姿がけっこう舞台映えしてましたねぇ〜。

フラメンコ写真4




←晴れの舞台を無事に終え、
ホッと一息の光安さんをパチリ






終演後、出演された方々がロビーへ出て、お客さんを見送ってくださったんですが、光安さんのお母さんや妹さんも見にいらしていて、緊張から開放された様子でご家族と談笑される光安さんの姿が、なんだかまぶしくみえましたヨ。

前任の裸心っ子さんから、今年度よりブログの看板コーナー『活き活き人』を引き継ぎ、石黒司さん、(新スタッフとなった)本間聡美さん、小野真一・紀子夫妻と取材を重ねてきましたが、コーナーで取り上げた人々以外でも、実は生き生き(活き活き)と輝いて暮らしている方は、参加者の中に大勢いらっしゃるはず。そんなみなさんの姿を、このような形でわずかでも取り上げる場面が今後もあれば、と考えています。時間が合えば取材におジャマしますので、どうぞお知らせくださいね(^.^) ではまた。

◎写真提供=石黒司さん 

第16回活き活き人特別編 メッセージ編

活き活き人担当スタッフ・及川です。前・後編に分けてお送りした、今回の活き活き人「小野真一&紀子」。楽しくお読みいただけましたか?最終章となる今回は、彼ら2人からの、裸心PJと参加者たち、そして参加はしてないけどブログは見てるよ、という方々への、ポジティブなメッセージを、インタビュー形式でお届けします!

裸心プロジェクトでの出会い。それが彼らの人生を変えた・メッセージ編

活き活き人担当スタッフ・及川(以下、O):2人が裸心PJを知ったのは?

06.11.11 カラオケ大会1
過去3回、カラオケ大会のリーダーを努めた小野君





真一(以下、真ちゃん):鶴居村のファームレストラン『ハートン・ツリー』で、相原代表と出会ったのがきっかけ。面白くていいヤツだと思ってたら、「こんなのやるんで(※裸心・クリスマスパーティー)来てみてよ」と誘われ、最初はたいして期待せずにお義理で行った(笑)。休みの日はヒマだったので、イベントにバンバン参加するようになりました。

ノリちゃんお誕生日
裸心PJ参加者で紀子さんの誕生会を開催。左は幹事の今村さん





紀子(以下、紀ちゃん):参加する以前から、新聞やブログでのイベント告知を見ていて、存在は知ってました。母の死をきっかけにプチ引きこもり、それが当たり前のようになっていたので、これじゃいけないと思い、相原代表に問い合わせメールを送り、金曜の会に参加しました。

O:裸心PJに参加しての感想や、裸心PJへの思いを聞かせてください。

真ちゃん:まず相原くんに感謝。彼がいわば愛のキューピッド(笑)。外の世界に出て、前向きに動き、行動することで、自分の道が開けたと実感、再認識しています。参加して本当によかったと思ったのは、挙式とかで、みんなが心の底から祝福してくれたこと。異業種交流会って、本来は仕事の人脈作りが主な目的だけど、裸心のみんなはピュアに喜んで祝福してくれた。そして、自分たちの大きなターニングポイントになる挙式を、証人として参加し暖かく見届けてくれた。中にはDVDやCD−Rまで作ってくれた人もいる(笑)。みんなの友愛を、胸にジーンとしみ込むくらい感じました。お金で買えない得がたい財産をもらったと思います。自分の人生にとって大きな大きな出来事でした。

紀ちゃん:裸心に参加した時は、エッジの上にいて、よいほうへ行くか悪いほうへ行くかの、人生最大の分かれ道だったと思います。参加する前は「私なんか…」と暗く過ごすか、「自分で楽しくしよう!」と明るく過ごすか、心の中が揺れ動いていました。実際に参加してみて思ったのは「ここって楽しいな」。参加者一人ひとりが、みんな自分から積極的に「つながろうよ」と発信していた。人のつながりって大事だと思う。もし参加してなかったら、今頃どうしてたかなぁ。仕事に行って家に帰って、一人でごはんを食べて…。友達も少ないし、マメじゃないからきっとメールも少なくて(笑)。金曜の会は楽しかったから、この場だけで終わらせちゃいけないと自分から努力しました。

07.02.16 金曜の会1
2月の金曜の会で入籍報告がありました♪





O:最後に、2人からのメッセージをお願いします。

小野夫妻結婚式・二人の2ショット

結婚式の2人





真ちゃん:感謝。この一言のみ。スタッフや参加者の名前を挙げればキリがないので、全部ひっくるめて、全て感謝(笑)。死んで棺おけに入るまで、みんなとの関係は続くけど、死ぬときも感謝(笑)。ジュニアが生まれたら、裸心はジュニアに引き継ぎ、不滅です(爆)。みんな、これからもよろしくね!ブログを見ていて「参加してみたいけど、でも」と思っている人たちへ伝えたいのは、合わなかったらもう参加しなければいいんだから、一歩を踏み出して1度参加してみて!ということ。ウチらは人生変わったよ!!

紀ちゃん:わたしにとって、裸心は楽しい余暇活動の域を超えてます。人生が変わりました(笑)。ありがとうという感謝の思いでいます。これまで自分に自信を持てなかったけど、こんな集まりの中に参加している自分が、「実はあたしってよくない?」と感じた(笑)。裸心ってすごいですよね、最高!それまでどこへ行っても「自分って人付き合いは得意じゃないし、別にそれでいいんじゃない?」と思っていたけれど、温かくなんでも受け入れてくれたみんなのおかげで、自分を好きになれた。みんなには、裸心の一員として、一緒に雰囲気を作り上げ、共に楽しもうよ、という気持ちを持っていてほしいです。何事もマイナスの視点で見るんじゃなくて、プラスの視点で見てもらえたら、と思います。

O:真ちゃん、紀ちゃん、どうもありがとうございました!(完)

協力=千葉志津子

第16回活き活き人特別編 後編

 活き活き人担当スタッフ・及川です。活き活き人「小野真一&紀子」前編は、いかがでしたか?後編では、2人が結婚へ向かうまでのエピソードと、家族となった彼らの今の思いをお送りします。

 裸心プロジェクトでの出会い。それが彼らの人生を変えた・後編

「ピンと来て、カンと行ったという感じ(笑)。かっこつけず、肩肘張らずに自然体で付き合える相手なので、自分が自分でいられた」(真一)。「一緒にいるのが、最初から全然苦じゃなかった。『自分をよく見せよう』と無理する関係じゃなく、自然な感じだった」(紀子)。こんな風にお互いのことを語る2人。それはまるで「昔から付き合っていたような感じ。運命的な出会い、ソウルメイトという感覚」だったと、真一は言う。ケンカも一度もないそう。お互いの年の功(笑)で、対処方法は十分心得ている。自然体の関係だから、互いに隠していたボロが出て、付き合い始めた頃との落差を感じることもない。「ジグソーパズルのピースがピタッと合ったという感じ。今までと違う感覚」。共にそう思っていたそうだ。

第15回活き活き人 小野夫妻 2人のツーショット)
2人のツーショット 自宅にて






付き合い始めて1ヶ月後の昨年9月には、阿寒町の阿寒ドリフトウッドロッジに、早くも初のお泊り旅行に出かけた。静かな森の中の世界が印象に残っている、と思い出の場所を振り返る2人。もちろん忘れられないハプニングもある。それは昨年のクリスマスイブの1週間前。市内文苑の真一宅でのことだった。イブにサプライズで指輪を用意し、プロポーズしようと考えていた真一。そこへ、なんと紀子が同棲を持ちかけてきた。「一緒の家に住んだほうがいいんじゃない?」。彼女にしてみれば、文苑の彼の家と、市内材木町の自分の家とを毎日行き来(笑)する不自由な生活を解消しようという提案だったのだが、サプライズをたくらんでいた真一としては、まさに非常事態(爆)。想定外の出来事に返答に困り、気まずくなりかけたその時、タイミングが大事だと意を決した真一は、紀子にこう告げる。「同棲なんてまどろっこしいから結婚しよう」。むろん気持ちに迷いなどなかった。この言葉に内心「あたしもやっと売れたか!」(笑)と、涙を流して喜んだ彼女。自分にとっても最大級のうれしい出来事であり、思い出だと、真一は言う。

ハプニングがあれば、むろんアクシデントだってある(笑)。今年2月3日、2人は空路で東京へと向かう。真一の両親に紀子を紹介するためだ。釧路空港を飛び立つ時から彼女がひどく寒がり、だんだん状態が悪化。晴れの旅立ちのはずが、悪寒と40度の発熱という「恐怖の旅」(真一)へと一変する。翌4日にはダウンし、東京の病院で腎盂腎炎と診断された紀子だが、病を押して5日に東京都小平市役所東部出張所にて入籍。6日に帰釧し、釧路労災病院に1週間入院する。真一は仕事を終えると、ほとんど毎晩看病に通ったが、この7日間の紀子の身の回りの世話を通じて、互いの距離が更にグッと近づいたことを実感したという。「やっぱり2人は家族なんだな」―。

3月1日。あわただしく釧路町東陽西のアパートへと引っ越した、真一と紀子。一つ屋根の下での新たな暮らしがスタートしたのだ。「新たな自分を見つけた」と真一は笑う。休日である土・日に食事のカレーを作ったり、厚岸のグループホームで働く紀子が、夜勤明けの疲れた体を休めて眠っている間に、炊事洗濯をしたり…。「彼女よりマメに家事してるかも。オレ、よく働くなぁ、という感じ」(笑)。紀子も笑みを浮かべる。「しっかり者だと周りから見られてるけど、実は自分はそうじゃない。仕事でイヤなことがあって落ち込んだりすると、家でベローンと寝たりする。でも、一緒に住んでいると彼がフォローしてくれる。『いつもいつもキチンとできる訳じゃないんだから、ダメダメでもいいんだよ』と言ってくれ、気持ちが楽になった。あ、やっぱりそれでいいんだ、と思えた」。

真一はこうも言う。「家に帰ると電気がついていて、待ってくれている人がいる。仕事行って疲れて帰ってきて、家の明かりを見ると、ちょっとした幸せを感じる。一緒に買い物に行ったりだとか、ほんの小さなことかもしれないが、そんな幸せを感じる一瞬が増えた。(ただそこに住んでいる)『住み家』じゃなくて、ここが『家』になったという安心感があるんです」。紀子もほほえみながらうなずいた―。

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 小野夫妻と活き活き人担当及川さん





昨年12月のプロポーズに始まり、今年2月の入籍、そして3月の引越し、更に6月の挙式へと、息つく間もなくノンストップで走り抜けてきた真一と紀子(7月には、イタリアへのハネムーンもありました!)。2人の物語を描いてきたストーリーテラー、わたくし及川の出番もそろそろ終わりが来たようです。なぜって?それは、ここから先の物語を描いていくのは彼ら自身だから(^.^)2人の前に広がる『共に歩む人生』という名の、シナリオのない長い長いドラマ。バシっと決めた名場面だけじゃなく、時には「聞いてないよ〜」というトホホな展開があるかもしれません。思わず吹き出す赤面モノのNGテイクもあるかもしれません。でも、真一&紀子なら何があろうと、笑いながら手を取り合って、前に進んでいくことでしょう。この物語の続きはいつかまた。最終回となる次回は、2人からのメッセージ編をお送りします! 

※本文中、敬称略

第16回活き活き人特別編 前編

 活き活き人担当スタッフ・及川です。前回の活き活き人「畠山義明」編に続き、今回も特別編をお送りします。ここで取り上げるのは、小野真一・紀子夫妻。今年6月17日に行われた、2人の感動的な挙式や、挙式当夜に裸心PJが総力を上げて敢行した二次会の様子は、裸心を通じて知り合った者同士の、初のブライダルという記念すべき出来事として、参加したみなさんの胸の中に、強く刻まれていることでしょう。真一さんの東京への栄転に伴い、このたび惜しまれながら釧路を離れた彼ら2人の、結婚に至るまでの笑いあり、涙ありの隠れたエピソードと、釧路のみんなへの感謝にあふれたメッセージをお届けしたいと思います。なお、取材当夜(7月24日)は、紀子さんお手製のイタリアン(!)に舌鼓を打ちながらの、ご自宅でのインタビューとなりました。真一くん、紀子さん、どうもありがとう!イタリアン、とてもおいしかったよ!!

       第16回活き活き「人」小野真一&紀子さん

 裸心プロジェクトでの出会い。それが彼らの人生を変えた・前編

第15回活き活き人 小野夫妻(おのっち)







東京都出身の江戸っ子・真一と、釧路市出身の道産子・紀子。生まれも育ちも違う彼らの、初めての出会いとなったのは、昨年4月の金曜の会だった。第一印象は?とたずねると、「さわやかな人」(by真一)、「やさしそうな人」(by紀子)とそれぞれ語る2人。その後も金曜の会で言葉をかわす中、彼女に興味を持ちはじめた真一だが、この時点で『結婚』という人生の一大事など思いもしなかった、という。

たがいに男女の出会いを期待していたワケではない。それなりに年齢を重ねる中、「これまでは、とんでもない女性に捕まり、ボロ雑巾状態(笑)。嫌気が差し、恋愛はもういい、という感じだった」(真一)。「今まで全然モテなかったし、過去の恋愛もうまく行かず、どこかあきらめていた気持ちがあった」(紀子)。

同じころ、真一は裸心PJ・相原代表と体重の話で盛りあがり、「何かやらなきゃ」とダイエットクラブを旗揚げ(※相原代表の意欲喪失により、その後自然消滅…)する。体験入学のため訪れた、市内の大手フィットネスクラブ。そこで思いがけなく発見したのが、以前から会員だった紀子の姿だった。スタジオプログラムで汗を流し「休憩している時、すごくいい笑顔で話しかけてくれた」彼女を見て、真一の中のなにかが動き始める。

第15回活き活き人 小野夫妻◆淵離蠅舛磴鵝







「一緒にご飯でも食べに行こうよ」。すでに紀子から電話番号やメールアドレスを聞いていた真一は、さっそくアプローチを開始。初の食事の席で彼は、ひそかなたくらみを胸に、紀子にあるおねだりをした。それはお土産。精神保健福祉士の国家試験受験資格の取得を目指し、福祉系大学の通信教育部に籍を置く紀子は、たまたま心理学の授業のスクーリングのため、仙台行きを予定していた。真一の父親が仙台出身という追い風(笑)もあり、彼は仙台土産を紀子にねだったのだ。

たくらみは見事に成功し、次回誘った居酒屋の席で、真一は紀子から仙台名物・長ナス漬けをゲットする。だが、彼の真の目的はナスの漬物ではなく、彼女のハートをゲットすること(笑)。「お土産に付き物なのは、当然お返し」(真一)。彼は東京に出張した際、羽田空港の土産店でチーズケーキを買い、釧路へと戻る。そして、運命の分かれ道となる2006年8月19日(土)がやって来た。

「♪バンスミ!バンスミ!バンスミ、バーン!」。この夜、市内鳥取のカラオケボックスで、裸心PJの第2回カラオケ大会『夏祭り〜アゲ♂アゲ♂SUMMER☆騎士(ナイト)』が開かれる。紀子も参加したこのイベントで、真一はDJ OZUMAの姿に扮し、裸心スタッフ2名と共にヒット曲「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士(ナイト)」を熱唱。イベントリーダーとして大会を大いに盛り上げたが、なぜか二次会の席に彼の姿がない。「アレ?おのっちは?」。見事に出し抜かれたスタッフたちを尻目に、彼は紀子を連れて市内文苑の自宅へと向かっていた。「お土産のチーズケーキを渡したいんだけど、冷えていたほうがおいしいと思って、自宅の冷蔵庫に入れてあるんだよね。一緒に取りに行こうよ」。自宅に着いた真一は、そこで紀子に思い切って自身の思いを告白する―。

いつもデートのつもりで誘っていた真一に対し、「気の合う男友達と飲みに行くくらいの感覚」だった紀子だが、2人で会うようになってから、彼のことを意識し始めていた。実は好みのタイプは「TOKIOの長瀬智也、坂口賢二、椎名桔平」(笑)だった彼女。でも、「人柄はバッチリだったので、こんな人が好きになってくれたらいいな…」と、真一への気持ちは少しずつ傾いていたのだった。彼女が中学校に入る時、父親が他界。2年前には母親も亡くし、自身が喪主を務めた。「その時は頼れる人はいなかった。自分1人で生きてゆけ、という運命だと思っていた」。そんな自分への、彼からの思いがけない告白―。「ビックリしたけど、思いを告げられてうれしかった」。紀子にとっても運命の分かれ道となったこの夜、彼女はその場で真一への答えを出した。O.K―。晴れて恋人同士となった彼らの、結婚への道のりはここから始まった。(後編へと続く)

※本文中、敬称略

活き活き人特別編

 裸心PJの副代表で相原代表の右腕として活躍した畠山。相原がベルジュエーワン店長就任に伴い一線から退かなければならなくなった状況下、自ら率先して裸心PJを引っ張ってきました。そんな彼がいよいよ旅立ちます。彼のこれまでの活動に敬意を表して―活き活き人畠山義明編、是非ごらん下さい。

    特別編・活き活き「人」畠山義明さん

活き活き人特別編畠山義明






「当時はボウリングサークルをやりたいと思っていたが、釧路にも同じようなことをやっている団体があるのだ」―釧路新聞で偶然目にした「集まれ転勤族」(平成17年8月開催)の記事。畠山さんは札幌でやっていたボウリングサークル(名称:玉転がし連盟)を釧路でもやりたいと、釧路市生涯学習センターなどの公共施設にポスターを貼ったり、インターネットで参加を呼び掛けていた。だが、全く人が集まらない状況で行き詰まりかけた時だった。

そんな時、目に飛び込んできた裸心PJの存在を知らせる記事。早速、9月の金曜の会に参加し、「自分自身が札幌で行っていたサークルの懇親会の席に似ていた。自分の思い描く交流が裸心PJで行われている」と感じたという。「その当時はまだ知り合いも多くなかった。また参加してみよう」と仕事がない限りは、金曜の会に足を運ぶようになり、自身も何かを運営したりするのが好きな性格だったため、相原代表とはすぐに打ち解け、メールをやりとりしたり2人で飲みに行ったりするようになった。

活き活き人特別編畠山義明ぃith相原
右は相原代表





ただ、参加していく中で疑問も生じていった。「自分は玉転がし連盟に所属していた時、運営側の立場だった。だから、裸心PJを運営する人間が相原1人しかいないというのが気になった。これだけいい団体なのに」。そのことを相原さんに伝え、「まずは組織作りが重要」とスタッフの増員を提案した。平成17年12月24日に行われたクリスマスパーティー。この時、相原さんは畠山さんをはじめ、参加者であった星野さん、江口さん、石田さんら6人にイベントを手伝ってくれるようお願いした。この時クリスマスパーティーの開催に携わった人達が、現在のスタッフである。新たに6人のスタッフを迎えた裸心PJ。畠山さんは「この時が新生・裸心PJのスタート」と振り返る。

クリスマスパーティーが終わっての翌月、釧路で未だ果たせなかったボウリング大会を企画した。「開催するのは大変」だったが、終わった後に感謝の気持ちを述べるメールが数多く寄せられ「次の原動力へとつながった。やったらその分自分に返ってくる」ということを改めて実感した。これ以降、畠山さんは別保公園でのバーベキュー大会やキャンプなど裸心PJのイベントリーダーを数多くこなしていくようになる。

活き活き人特別編畠山義明






そして7月、相原さん、畠山さんを中心に歯車がうまく回り始めた矢先、スタッフ内に衝撃が走った。相原さんが自分の夢に向かってベルジュエーワンの店長になるため、裸心プロジェクトに関われなくなるというのだ。スタッフの間では「事業を縮小しよう」「活動を休止しよう」という意見も出された。しかし、畠山さんは「代表がいないから規模を縮小したら裸心はなくなると思った。だから、身の丈にあった活動をという意見には反対だった」とこのままでは裸心が自然消滅すると危機感を募らせ、「やるだけやってみよう。スタッフが力を集結すればできる」とスタッフに訴えた。「この団体をつぶすのはもったいない」と考えが根底にあっての発言だった。

これ以降、裸心プロジェクトは新たに「副代表」というポジションを設け、初代副代表に畠山さんが就任。以降はキックベース大会、バスツアー、クリスマス大会、阿寒スノボツアーを開催するなど精力的に活動を展開していった。

イベント開催以外にも副代表として心がけたことがある。それは自身が仕事で1,000社の企業、経営者を見てきた中で「小さくてもきらりと光る企業」に見られる特徴を裸心PJの運営に導入したことだ。具体的には〕念・方針・計画を明確化し、各スタッフの自主性、運営の民主制を心がける、不平不満はあるがそれは謂わないで、常に面白く皆を巻き込みながらそれぞれの出番を作るか―という2点。,蓮嵌山副代表の裸心プロジェクトへの思い」と題し、ブログで裸心PJの方針を表明し続けてきた。△魯丱好張◆爾筌ックベース大会で見られた手法で、自身がイベントリーダーになるのではなく、それに興味を示した参加者をイベントリーダーに据え、スタッフ全員でそれをバックアップしていくものだ。この方法でイベントリーダーを務めたある参加者の方は「畠山君は裸心内での恩人」と評した。


そして、副代表として最後に伝えておきたいことがあるという。それは「裸心に来る人は仕事や人間関係などで傷ついている人が勇気を振り絞って参加してくれていると思う。友達がいて何もかも順風満帆な人は裸心に来ない。そのような人達がホッとできるような場所を裸心では提供してきたい」と裸心プロジェクトがいつまでも釧路のサロンのような場所であって欲しいということ。その裏には「自分も人間関係など多くのことで失敗してきた。しかし、今の自分は心ある人に救われてきました。今の自分があるのは、こういった方々のおかげ」という思いがあるからだという。だからこそ「何かに失敗した人でもその人を排除するのではなく、その失敗を受け止めその人の可能性を信じ抜いてみたい」と、スタッフや参加者に裸心プロジェクトで暖かい人間関係を築いていって欲しいと願う。


活き活き人特別編畠山義明







走り続けた2年半。自分が目指す組織作りが行えたことで自信もつき、クリスマスパーティーで星野さんが巨大プリンを完成させるという感動も体験できた。「裸心で関わったこと全てが想い出」―裸心に始まり、裸心で終わったとも言える釧路での2年半。彼はこの想い出を胸に、日本全国へ旅立つ。畠山副代表の冒険日記第2章がいま、幕を開ける。

協力=相原真樹、星野高志、中野恵利子

第14回 活き活き人

 今回の活き活き人はついに本間聡美ちゃんです!!半年以上前から「活き活き人に出て下さい」という話をし続け、今回ようやく出て頂くことになりました。長い前フリは不要、さっそく及川さんによる2回目となる活き活き人、ご覧下さい。裸心を哲学する本間さん。彼女は凄いよ!(笑)

      第14回活き活き「人」本間聡美さん

〜 裸心プロジェクト。それは、自分の居場所はここだと心から思える場所 〜

活き活き人本間聡美











「いらっしゃいませ」。来店客が行きかう大手パチンコ店の夜のホールに、制服に身を包み、笑顔を浮かべて来店者に一礼する彼女がいた。全国に店舗展開する今の会社へ転職し、思いがけず最初の任地となったのが釧路。昨年4月、釧路空港に降り立って思ったのは「めちゃくちゃ寒い!春はどこへ行ったの?」。休日に駅前や北大通を探索しても、人通りもない寂しいマチ、という印象だった。その街で「会社以外に知り合いは誰もいなく、休みの日になんの予定もなければ、連絡を取る相手もない」彼女の新たな生活が始まった。

やりがいもなく定時で帰宅する経理事務員の仕事。そんな日々に物足りなさを覚え、思いきって自分を試してみたいと飛び込んだ、接客業への転職だった。「地元を離れて新しい土地へ行くのはまさに挑戦。自分はどこまでできるかな、と思ったけれど、慣れない職場で本当に何もできず、力のなさを痛感した」。壁に突き当たった苦しい思いを、地元の友人に電話やメールで送ってみても、その返答に遠い自分との温度差を感じたのがとても寂しかった。そして5月、社員寮で迎えた一人ぼっちの誕生日―。昨年6月のキャッスルホテルでのお昼の交流会に出席し、裸心PJに初参加するまでの2ヶ月間を、彼女は「必死だった。試練の時期だった」と振り返る。

そんな転勤者の胸のうちを分かち合えたら…。人とのつながりを求め、インターネットで見つけた裸心PJのホームページ。お昼の交流会への参加をきっかけに、「そんなのみんな同じだって。当たり前じゃん!」と、明るく笑い飛ばす裸心スタッフや参加者たちとの出会いが彼女を待っていた。「誰も知らない釧路に来て、オレは十二指腸潰瘍をわずらった。お前もな、血を吐いてみろよ!血尿出してみろよ!」。ある転勤族・男性スタッフの彼らしい励ましを、彼女は今も覚えている。本音で語れる仲間の言葉に、「あたしの苦労なんて全然たいしたことない」。そして彼女は裸心PJにどんどんハマっていく。「裸心には他にもいろいろな人がいた。相談したらいい言葉を言ってくれるし、みんな何か目標目指してがんばっていて、自分の夢に向かっている人はすごく素敵だと思う。自分のやりたいことをやって生き生きしている友だちの言葉を聞き、『わたしもやろう!』という気になった」。今彼女は、自身がかつて中途半端で終わらせてしまった経理の知識をキチンと身につけたい、と、簿記3級の通信教育を始めたばかりだ。


活き活き人本間聡美












今年元旦。彼女は阿寒でスノーボードデビューを果たした。全くうまく滑れず「なんであたしはダメなの?」と悔しさは残ったが、でも「こんなにハマると思わなかった」ほどの楽しさを味わい、その後7、8回滑りに行ったという。白銀の世界へ共に出かけ、自分にあれこれ手ほどきしてくれる、裸心で知り合った友人たち。滑り終わった後は一緒にご飯を食べ、温泉で汗を流しながら恋バナなどに花を咲かせるひと時。スノーボードの魅力よりも、そんな仲間と過ごす時間がとても楽しく、そしてなにより嬉しかったのだ。

その1ヶ月前となる昨年暮れ、彼女は職場に退職願を出していた。やってやろうと意気込んでの転職だったはずなのに、同期入社の社員はドンドン他のポジションへと上がっていく中、自分は今もまだホールにいる…。全く自分の力が通用しない。認めてもらえない。そんなあきらめのような気持ちからのことだった。だが「辞めても釧路は離れたくなかった」。紆余曲折を経て、彼女は退職願を撤回し「マイナスからの再スタート」を選ぶ。そして今年5月のある日、ホールで1人の男性客から声をかけられた。「お姉ちゃんに(お客さま評価を)1票入れたから」。報われた、続けてよかったという思いから「ウルッと来た」と、彼女はほほえむ。

活き活き人本間聡美











「自分たちも老後の設計があるのだから、好き勝手に転職して、勝手にまた戻ってこられても困る」。地元を出る時、両親に最後に告げられたこんな言葉を思い出す。その時は「なんて冷たい親なんだ。簡単には帰れない」と感じたが、それは自分を後押しする言葉だったのだ。今ならそう思える。「今が一番楽しい。裸心に出会わなかったらすごく寂しい人生を送っていたと思う。ここで出会った人たちは、わたしにとってなくしたくない関係、絆」―。本間聡美、三笠市出身、28歳。自身を支える「居場所」を見つけた彼女の、これからの夢の1つ。それはこの釧路に永住することだ。

第13回 活き活き人(新生・活き活き人記念すべき第1回目)

 裸心PJのイベント、金曜の会以外でも、参加者が連絡を取り合い交流の機会を作るというのは盛んに行われていますが、その代表格がこの石黒司さん。映画鑑賞会や飲み会、ミッドナイトテニスと、自主的な交流の場をさりげなく設ける呼びかけ役の一人です。また、今年2月から開催場所を移して開かれている金曜の会の、新会場決定の影の立役者であることはブログ等でみなさんご存知のはず。「断ることは好きじゃないのでー」と快く取材に応じてくれた石黒さん、満を持して?の活き活き人登場です。

          第13回活き活き「人」石黒司さん

  ―人生は人に会ってなんぼ。いろいろな刺激を与えられるから―

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「職場と家とをただ往復し、休日は家でダラダラ過ごすことの繰り返し。映画を一人で見に行くくらいで、他にちっとも予定が無いのが当たり前でしたね」。裸心PJに出会う前の暮らしぶりを石黒さんはこう振り返る。つまらない、このままじゃいけない。だが何をすればいいかが分からない。そんな日々が変わったのは昨年9月。転勤族の同僚に、鮭番屋でのお昼の交流会に付き添いで行くよう頼まれたのがきっかけだった。自身は転勤族ではないが、以前イベント「集まれ転勤族!」で裸心PJの存在を知っていた。見知らぬ人と知り合うきっかけが持てるかもー、と軽い気持ちで同行したのだった。 

 気軽に飲んで食べて他の参加者とも話ができ、交流会の後にはボーリングですっかり盛り上がる。「みないい人たちだったので、これで終わりにしようとは思いませんでしたね。ほとんどの方の顔と名前も覚えましたが、参加していた某スタッフに後日『初めまして!』と挨拶されたのにはがっかりした」と苦笑い。直後に開かれた第1回裸心オールスター・キックベース大会にもさっそく参加し、青空の下でスポーツを楽しむひと時を満喫した。「みんなでスポーツする機会がなかったので、チームワークで結束してプレーする楽しさや喜びがありました。もともと体を動かすのが好きだったし」と振り返る。

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キックベース大会が終わり、全員でお昼の焼肉バイキングを楽しんだ後、余韻を残した有志たちとカラオケボックスへと流れた。そこでの出来事だ。「自己紹介タイムで、参加者がこうありたいという自分のイメージやビジョン、夢を語るのを見て『みんな凄いな』と劣等感を感じた。『自分にはそういうものがない』とも落ち込んだ。でもここで離れてはマイナス志向のまま。せっかくきっかけを貰ったんだから逃げちゃいけないと考えた」。以来、裸心PJのイベントには都合がつく限り参加し、金曜の会にも月1回のペースで出席。大手ビール会社の販促担当という仕事柄、営業がてら夜の街を歩くことも少なくなかったが、今ではしばらく顔を出していないスナックがいくつもある、と笑う。

 実は、今の職場は派遣契約社員という立場。正社員登用はあまりに狭き門だ。10年選手の石黒さんだが、派遣契約雇用期間が見直され、会社からあと3、4年しか残れないことを告げられた。そんな折、活き活き人第6回・佐々木亜矢さんのインタビューを目にする。佐々木さんとは、彼女がアルバイトをしている飲食店で顔を合わせた間柄。もともと同僚を鮭番屋での交流会に誘ったのも佐々木さんだった。「はっきりした目標を持って彼女はがんばっている。本当に真剣に考えているんだなぁ」。このままではいけない…。それまであった漠然とした資格への思いが具体的なものに姿を変え、この3月から行政書士の資格取得を目指す通信教育を始めた。「流されたり心配ばかりするのではなく、自分で努力して切り開いていくんだと今は考えています。刺激を与えてくれる人の存在って大事だと改めて思いましたね」―。

活き活き人・石黒司(カフェ・ドルチェ) 001☆.jpg












ある土曜の深夜。屋内テニス場で体をほぐす石黒さんの姿があった。自ら誘い参加を募った裸心の仲間たちが、貸切のコートに一人、二人と集まって来る。「自分が楽しみたいのもあるけれど、他の人もそれをしたいなと思っているなら役立ちたいし、みんなが喜んでくれると嬉しいから」。こんな思いを胸に声を掛けているという。だから自身が誘われた時もなるべく断らない。「誘われているうちが花」と義理を通す。それが石黒流。額に軽く汗を浮かべながら、練習相手めがけてラケットを振る石黒さんにコートの周りから声が飛んだ。「ナイスリターン!」。裸心PJ参加者たちとの交流の中から得た、明日の自分をよりよいものへと導く“リターン”。それを力に石黒さんは、これからもきっとボールを打ち返し続けるに違いない。

新・活き活き人

これまで12回行われた活き活き人。
この前お知らせした通り、13回目からは第9回活き活き人でもある及川さんが担当することになりました。

及川さん1
及川さん





そして!記念すべき新・活き活き人インタビューが22日(日)入江町のカフェ・ド・ルチェで行われました。某紙でライターをしていることもあり、質問する内容も的確!!あっというまに2時間30分が経過していました。

そんな及川さんによる活き活き人は5月GW明けに掲載の予定です!期待して下さい!

活き活き人担当者が変わります

 「色々な職種、立場にある人達に交流の場を提供しようと活動している裸心プロジェクト。私自身も新聞記事で裸心プロジェクトのことを知り、様々なイベントに参加させてもらうようになった」(中略)「ここでは私以外にも裸心プロジェクトに参加し、多くの人達の考え方や生き方に触れ、そして自身も触発され活発な日々を過ごしている方々に登場してもらうことにした。彼らの言葉から、少しでも何かを感じ取ってもらえればと考えたからだ」―第1回活き活き人・前田行尉編より

こんにちは。グルメっ子です。このような趣旨のもとに行われてきた活き活き人インタビュー。これまで12人の方にご登場願いました。新年度も引き続き、行っていきます。名前はまだ明かせませんが、既に次回活き活き人に出演して頂く方も決まっています(掲載は5月上旬予定)。

そして、今回大きく活き活き人が変わります!!それは・・・・


何と!担当者が変わります!!理由は色々ありますが!それは追々ということで(笑)

新しい担当者の方は・・・・・・・



及川さん1





自身も9回目の活き活き人として出演したOさんに新年度から活き活き人を担当してもらうようお願いし、快く承諾してくれました!!


ということで及川さんによる新・活き活き人!こうご期待!!

第12回 活き活き人

 裸心っ子です。今回の活き活き人はNPO法人コラボBスペース代表の松本博史さんです。裸心プロジェクトは「てんつく」107+1〜天国は作るもの〜の上映会(こちら)などで大変お世話になっています。コラボBスペースはこれ以外にも「ホワイトスィーツフェスタ(こちら)」など様々な活動に取り組んでいます。そんな松本代表に今回!活き活き人に出て頂くことになりました。松本さんの郷土に対する熱い想いに触れて下さい。

            第12回活き活き「人」松本博士さん

―名刺も1年で4―5枚くらいしか使わなかった。
今は数百枚。色々な人達・考え方に出会いすごく充実している―




第12回活き活き人 松本さん

「我々が傍観していてよいのかという思いがあった。そこで職場の人達と何かできないか?ということで毎月勉強会を実施していたのが始まりでした」







財政難にあえぐ地方自治体。コラボBスペースの活動拠点である別海町も例外ではなかった。そして、地元の主要産業である酪農業は牛乳の生産調整という苦境の中にあり、こうした閉塞感を打破し自分達の住む町を何とかしたいという思いから2005年10月、勉強会は「コラボBスペース」という形に発展し、具体的な活動へと移ることになった。

コラボBスペースは松本さんの職場である別海町役場の職員をはじめ、町内の民間企業に勤める20代から30代の若手が中心となって運営している。「サークル化するのではなく、活動は継続性を持たせたかった。そして対外的な信用も得たかった」という考えからNPO法人も取得することにし、06年3月1日、道から認証を受けた。

活動内容は、無料情報誌“こらぼ”の発行を行う「こらぼ編集部」、地域ポータルサイトの構築などを実施する「こらぼねっと」、そして「こらぼ企画」の3つに分類することができる。

“こらぼ”は毎月30日に発行。町内のイベント情報などを掲載しており、公共施設や郵便局、金融機関、コンビニエンスストアに配布されている。

「こらぼねっと」は“ブロードバンド推進事業”、“ホームページ製作受託事業”、“地域ポータプルサイト構築事業”の3事業を実施。その中の“地域ポータプルサイト構築事業”は町内の名産や各種団体の活動をHP上で取り上げ、町内外へ別海町の魅力を発信する取り組みを行っている。松本さんは「(ポータルサイト構築事業を通じて)町内に多くの団体があるのを知りました。皆さん、自分達の活動をPRするために色々と苦労しているのがわかった」と多くのことを学び、「色々な活動をバックアップしていくのが我々の目的。これを通じて、皆さんの活動がより活発になれば」と今後に期待を寄せる。

第12回活き活き人 松本さん





コラボBスペースは「町内の情報を総合的に管理し、ありとあらゆるものをPRしていきたい」という考えのもと活動に取り組んでいる。その観点からいけば“こらぼ”の発行、ポータルサイトの構築は理念にあった活動であり、コラボBスペースのメーン事業とも言える。しかし、メンバー同士、話合いをしていく中で「まちを盛り上げる活動をやってみたい」という意見が多く出されるようになり「メンバーのやりたいことは最大限尊重するという考え」のもと、当初の事業計画には盛り込んでいなかった“こらぼ企画”も行うことになった。「本来の活動ではないが、これまで作り上げてきたものを利用してPRしていきたいと考えたのです。地域のことを改めて見直すことにもなると思ったので」

具体的には釧根管内の主要産物である牛乳を使ったデザートを店舗で販売する「ホワイトスィーツフェスタ」の開催、住民参加によるまちづくりの手法が進んでいる先進自治体の職員を招いての「まちづくり講演会」を実施した。

これらの活動を通じ、松本さんは「役場内しか知らなかった。ある意味町内に収まっていました。名刺も1年で4―5枚くらいしか使わなかった。今では数百枚。色々な人達・考え方に出会いすごく充実している」と活き活きした日々を過ごしている。

しかし、その反面「仕事との両立、そして色々な職種の人達が集まっているのでマネージメントが大変。スイーツフェスタの時は35店舗の方々と交渉し、本当に大変でした」とこれまでの道のりは決して楽ではなかった。

それでも松本さんは「忙しいことは悪いことではない。メンバーみんなが本当に頑張っている。活動を進めていく上でどこに力点を置くのが見えてきた」と話し、「フリーペーパーの全戸配布、地域特産のブランド化、色々な人を招いて別海町の魅力を多くの町民の方々に知ってもらう“まちづくり後援事業”をやっていきたい」とこれからも積極的にコラボBスペースの活動を展開しく方針だ。

第12回活き活き人 松本さん「祖父は開拓時代から別海に入植し、別海の発展に貢献してきました。よく、じいさんから『別海はいいぞ』ということを聞いて育ってきたのです。大した財産を残さず祖父は亡くなりましたが、別海の発展に寄与したというのはじいさんの功績だと思っています。私にもそのDNAが受け継がれているのかもしれませんね





コラボBスペースの活動の源について、聞かれた松本さんは笑いながらそう答えてくれた


取材協力=星野高志、畠山義明
 

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