活き活き「人」

第20回活き活き「人」

整いました!釧路の夏とかけまして、しょっぱい打ち上げ花火と解きます。
「その心は?」。
ホンの一瞬で終わります…。

裸心プロジェクトの覆面ライター・ねずっち2号です(ウソ)。この夏、あの名企画が2年ぶりに戻ってきました。かつてこの裸心ブログを舞台に、交流会やイベントを活き活きと彩る名物(?)参加者らを取り上げ、大きな反響を呼んだ『活き活き人』です。2006年2月に第1回が掲載され、2008年8月の第19回で休止した企画ですが、このたび臨時ではありますが復活いたしました!

区切りとなる20回目の活き活き人は、通称・マジシャンとして知られるあのお方です。金曜の会の席上で、鮮やかな手さばきでトランプなどを操る彼のテーブルマジックに、参加者たちの間から歓声(黄色い声?!)が沸き起こったことは数知れず。まさに花火のごとき一瞬のイリュージョンですが、果たしてその原点はどこにあったのか?そして知られざるその横顔とは?“マジシャン”の美学とこだわりが、随所に垣間見えるインタビューとなりました。どうぞご覧ください!!


            第20回 活き活き人 山田康博
   
               『 I MAGICIAN 』


某信金の釧路支店にて貸付を担当するお堅い金融マン、それが彼の昼間の顔だ。オホーツク育ちの29歳。昨年4月、転勤で釧路へやって来た。「住む前は、霧でジメッとしてカビが生えてくるみたいなイメージ。実際は適度に都会で住みやすいマチだったので、けっこう印象が変わりましたね」と、来釧当時を振り返る。

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トルネードマートの黒いジャケットとパンツ、ハイストリートのプリントシャツというおなじみのファッションで、金曜の会に初登場したのが昨年6月5日。職場以外に知り合いが一人もおらず、週末は帰省して地元の友達と飲み歩くか、アパートの自室でネットショッピングに興じる夜が続いていた。「このままでは腐ってしまう…」。ネットで交流会やコミュニティを探したら、最初に表示が現れたのが裸心プロジェクトのブログだ。参加を即決し、さっそく会場である『Pieno Di Q厨』へと足を運ぶ。「そんなに参加者と話せなかったけど、人と人のふれあいが心地よく、ニコニコしながら最後まで時間を過ごせたのを覚えてます」。ジントニック、カンパリにバーボンetc。好きなお酒を自由に楽しみながら、人の輪の中で過ごす居心地のよさがすっかり気に入り、次もまた金曜の会に来ようと思ったそうだ。お得意のマジックが交流に役立ったことはもちろん言うまでもない。

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マジックとの出会いは、7歳の頃にさかのぼる。当時住んでいた札幌のデパートのおもちゃ売り場で、マジックディーラーが実演する『お化けハンカチーフ』に出くわした。まるで閉じ込められたお化けが、逃げ出そうとするかのように上下する不思議なハンカチだ。子供心に「きっとものすごい仕掛けがあるぞ!」と、全財産(笑)の1500円を投じて買ったのだが、自宅で開いた取扱説明書に書かれていたタネがあまりにバカバカしく思え、ハンカチをぶん投げてふて寝してしまう。翌日、部屋の隅に横たわるそれを見て、おもちゃ売り場で出会ったあの衝撃がよみがえった。「こんなちゃちなタネでも人を驚かせることができるんだ!」。それからはマジックにまっしぐら。「毎回買うわけでもないのに、例のおもちゃ売り場をしょっちゅうウロウロして、マジックディーラーにうっとうしがられましたね」と、苦笑いする。

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内輪の友人にマジックを披露して彼らが驚く姿を楽しむ日々に、5、6年ほど前転機が訪れた。趣味がマジックだと知った職場の上司が、取引先を招いた春の懇親会での余興を頼んできたのだ。「いーっすよ♪」と二つ返事で軽く引き受けたものの、マジックの手順を間違えたり、舞台のBGMが途中で終わったりと、段取りの悪さが災いしてマジックショーは大失敗する。200人ほどの客席に漂うしらけた空気と失笑を目の当たりにして、「この場から消えてしまいたい…」。死にたくなるほどの屈辱を味わったことで、ステージをとことん極めてやると心に決めた。数ヵ月後、異動先の美幌でリベンジの機会が早くも訪れた。同じく取引先との懇親会での余興のショーだ。完璧なタイミング、完璧なステージ運び。80人ほどの客席から起こるやんやの喝采に、舞台の彼は心の中で思わず快哉を叫んだという。「ザマーミロ!!」。

「ショーの醍醐味は?」と尋ねたら、「自作自演なところです」という答えが返ってきた。自分の色で染め上げるため、舞台にアシスタントは一切登場させないという。人を使うと完璧に舞台をコントロールできないからだ。ショーのポスターやチラシも、手書きのイラストを加えたりしながらパソコンで自作する。好きなことはとことん突っ込む凝り性らしく、手品の道具を自作することもある。マジック以外の趣味は、酒・音楽・映画・読書。イギリスのロックバンド、パルプのシンガーとして知られるジャーヴィス・コッカーと、アメリカのモダンホラー作家であるスティーヴン・キングが自身のアイドルだ。読書好きが高じて、自作の長編スリラー小説をペーパーバックで自費製作し、凝った内容が仲間内で好評を博したこともあるそうだ。地元の月間情報誌に趣味のコラムを執筆したり、地元クラブでロックDJも務めるなど、その横顔は多趣味かつ多才である。

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淡々と舞台が進む中、かみそりや針を使ったショッキングなネタが突如顔を出す。こんな黒い味わいを随所に仕込むのがマジシャン・山田の持ち味だ。リスペクトするのは、フランスの世界的マジシャン、デビッド・ストーンと日本が誇るマジックコンビ・ナポレオンズ。彼らの毒を含んだコミカルな笑いが、自身のショーの目指すところでもある。でも、アブナイ世界観はあくまでも舞台の上だけのこと(笑)。これからは、ボランティアやチャリティといった、マジックが人にとって役立つ意義を見つけていきたい。例えば、病院に入院する子供たちに自分のマジックを見せられたら、つらく苦しい日常を忘れ、一瞬でもニコッとほほえむことができるかもしれない、なんてことを考える。「マジックは華やかな見た目と違って、地味でストイックな仕込みがたくさんあるんですよ」。こんな隠れた努力も、舞台の向こうの大人や子供の驚いた表情を見れば、一発で吹っ飛んでしまう。子供たちの笑顔に触れるのももちろん楽しいが、ショーをやっていて最高の瞬間は、実は「大人が子供の顔に戻ること」。一見クールな彼も、舞台の上では子供の心に戻っているのかもしれない。そんなことを考えさせられるセリフだ。

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これからの抱負を尋ねたら、穏やかにほほえむ彼からこんな言葉が返ってきた。「生涯マジシャンのつもりです」。不可能が可能となるトリッキーな世界に魅せられた一人の青年が、エンターテイナーとしてマジックへの限りない愛と忠誠を心に誓う。そんなマニフェストに触れた気がした記者の脳裏に、ふとパルプのナンバー『I SPY(アイ スパイ)』の、ジャービスの低い歌声が流れていった。それになぞらえるなら、まさにI MAGICIAN(アイ マジシャン)というべきか。山田のショーにどうやら終わりはない。

                 (取材・及川義教/写真撮影・星野高志)

第19回 活き活き人

裸心PJの映画好きが集まり、映画談義を肴に酒を飲む会がある。市内末広の一画にある韓国料理店で、杯を重ね料理に舌鼓を打ちながら、この日の話題である韓国映画について話していた時だった。どこか郷愁を帯びて聞こえる店名の『こひゃん』という響きに、ふとその意味が知りたくなって彼女に尋ねた。店を選んだ幹事役の彼女はこう教えてくれた。ふるさと、という意味だと―。

            第19回 活き活き人 松本祐子さん

             〜 彼女をめぐる5つの組曲 〜

2006年3月、札幌。「窓側はお客さまが座る席だ!お前らは通路側に座れ!!」。研修用のバスに乗り込み、窓側の席に何気なく腰を下ろした時だった。研修生たちに教官の怒声が飛び、彼女は慌てて通路側へと席を移した。道内を1周する添乗員(ツアーコンダクター)研修がこうして始まった。層雲峡や小樽運河、登別温泉、阿寒湖温泉と観光名所を駆け足でいくつも回る10日間の日程だ。朝は6時前に起きてホテルの朝食会場のチェックの仕方などを学び、夜は旅程を管理する裏方の心得などの勉強会が遅くまで続く。「添乗員は声がよく通らなければ務まらない。今から発声練習だ!」。函館・朝市の前で突然、道行く大勢の観光客らを前に、自分がなぜ添乗員になりたいかを大声で叫ばされた。鬼教官のスパルタ教育の下、常に人としてのマナーが厳しく見られ、そして問われた。何でもできるはずだと思っていた自分が、さんざんに怒鳴られ泣かされた10日間。全日程を終え、彼女は思った。「(自分を)素っ裸にされた」。学生時代から憧れた海外での仕事に就くチャンスだ。そう思い、釧路の商事会社のOLを辞めて身を投じたのだから、今さら自分には向いていなかった、無理だとは言いだせない。「やるしかないんだ」。彼女はその場に踏みとどまった。
活き活き人・松本祐子






2007年8月。参加者だった年上の友人に連れられ、彼女は初めて裸心・金曜の会に姿を見せた。自称・あがり症の小心者。緊張を感じながらも他の参加者たちとの会話の輪に加わる中、彼女は2ヶ月前のあるネットコミュニティのオフ会のことを思い出していた。友達が欲しいという思いから、勇気を振り絞り参加したそのオフ会で、世代の違う20代前半の若者たちの中に、身の置き所がないまま座り続けた苦い出来事があったのだ。「今度は失敗したらイヤだな」。事前にチェックした裸心のブログには、一歩を踏み出して参加し活き活きと輝き始めた参加者たちの姿が紹介されていた。「もう1度勇気を振り絞れば、自分の居場所があるかもしれない」。金曜の会の後の二次会で、さほど年の変わらない参加者たちとお酒を飲みながら談笑し、帰り際に時計を見たら針は午前3時を回っていた。あのオフ会で2時間苦痛を味わったのに、裸心では3時まで過ごせたんだ―。心から語れ、ありのままの自分を受け入れてくれる仲間との出会いに、居場所を見つけたかもしれない、と彼女は思った。
活き活き人・松本祐子






2006年6月、仙台。駅前の夜のオフィスビルの3階で、彼女はデスクに1人向かっていた。大手英会話学校のマネージャー。それが彼女の肩書きだった。6人の外国人講師をマネジメントしながら、月1000万以上の売り上げを稼ぎだすため、無料体験レッスンをして受講生を確保し、アルバイトを採用・教育、そして経理と仕事はすべてこなした。ノルマを達成するために、自分の時間を削って夜中まで働き、友達と飲みに行く時間すらない日々が続く。人気がないと仕事が割り当てられず、道内勤務では海外で添乗員として活躍するのはまず無理というシビアな世界に見切りをつけ、得意な英語のプロフェッショナルとして第一線で働きたい。こんな思いで転じた新たな仕事は、自分が思い描いていたものとは違っていた。「やるしかないんだ」。腹をくくって目標達成のために一生懸命働き、どんどん肩書きは上がっていった。4ヶ月で部下を5人持ち、彼らに営業ノウハウを伝えるまでになったが、唯一の休日は誰とも話をしたくなくて1日中自宅で寝ていた。「こんな生活でいいのか」。そして気づいた。「人がお金としか見られなくなった」。そんな時、釧路の古巣の商事会社で自分の後任が退職するという、風の噂を耳にした。無理かもしれないが復職を掛け合ってみよう…。そして2007年4月、刑務所から解き放たれた思いで、彼女は釧路に戻ってきた。
活き活き人・松本祐子






2007年9月。網走原生牧場観光センター、オホーツク流氷館と巡る裸心・網走バスツアーの車中に彼女はいた。1人で参加を決めたので、まるでアウェーにいる心境だった。緊張から来る疲労を覚えながら思った。「(裸心には)いろんな人がいるんだな」。昼食のバーベキューや車内でのゲームと時間が過ぎていき、日帰りのバスは夕暮れの釧路に戻る。家路に就きながら彼女はツアーのことを考えていた。「ボクには暗黒時代があるんです」とほがらかに語るあるスタッフの印象的な言葉や、スタッフたちがツアー参加者のために全力を出す姿が羨ましく思えたことを。「今まで自分のためだけに生きてきたわたしも、人を喜ばせたり役に立つことができたら」。心の中で少しずつふくらんだ思いは、今年2月の第4回『映画を語る会』の幹事役として小さな実を結んだ。当日語る映画のテーマを決め、資料に配布するレジュメを作り、雰囲気のあるお店を選んでと、集まったみんなが笑ってくれる姿をあれこれ想像しながら迎えたその夜は、参加者たちはもちろんのこと、彼女自身にとっても楽しい2時間となった。
活き活き人・松本祐子






2008年7月、釧路市武佐の森。午後の日差しが照りつける緑の中の遊歩道で、彼女は裸心スタッフのインタビューを受けていた。そこは、一月前に裸心・武佐の森&春採湖散策ツアーで訪れた場所だ。釧路のような田舎で自分の人生を終えたくない。男勝りのキャリアウーマンになって都会でバリバリ稼いでみせる。そんな夢を抱いてかつて背を向けたこのマチが、年を重ねるごとに人間らしくていいな、と思えるようになってきた。手を伸ばせばそこに山があり、川がある。幸せの原点だと彼女は思う。裸心を通じて地元のよさをあらためて教えられた。自然に触れている時間が一番の癒しだと今は感じる。「(自分にとって)なにが幸せなんだろう?」。居場所を求めて模索を続けた過去を振り返りながら、彼女は自問自答した。「いつか必ず英語のプロとして働きたい。安住の場所を得るために自分はベストを尽くす。わたしは死ぬまで旅人なんだ」。彼女はこの秋、札幌へと転勤する。好きな英語をもっと学び、英語の仕事に携わるチャンスが再び巡ってきた。もう少し釧路にいられたら、とも思う。「家族とは違うふるさと」。あなたにとって裸心とは?と尋ねられたらこう答える。釧路を離れても「そんな人、いたよね」と思い出にされることなく、これからも参加し続けていきたい。「ためらわずに言いたいことを言い、やりたいことや思っていることにチャレンジしようよ、とみんなに伝えたい。夢は誰かに話してみるのが一番。そこから人に広がっていくし、人に夢を語ることは、人に夢を与えるのと同じだと思うから」―。彼女の長いインタビューが終わった。

          (インタビュー/構成:及川義教、写真協力:星野高志)

第18回 活き活き人

4月のある日曜の朝、釧路市鳥取北の静かな住宅街に『エコ・スタジオ』を訪ねました。昨年9月に開かれて好評だった、裸心PJ・釧路湿原ツアーのガイド役を務めていただいた、“吉田先生”こと吉田三郎さんのご自宅です。応接間のテーブルの上には、タンチョウの親子や珍しい野鳥の姿、馬でトロッコを引いていたかつての湿原風景の写真などがズラリと並び、吉田先生の満面の笑みと共に、取材に訪れたわれわれスタッフを出迎えてくれました。日本自然保護協会・自然観察指導員として活動する先生が、いったいどんなお話を聞かせてくれるのか(^.^)では、ご覧ください。

           第18回 活き活き人 吉田三郎さん

       ― 人間、一生勉強。真理の探究が面白いのです ―

「裸心のみなさんが、今まで案内した中で一番若かった。いつもは定年を迎えた60代や、40代、50代の方々を案内しているので、この時ばかりは身も心も若返りました」。若い人たちに、昔と現在の湿原の姿や自然の大切さを伝えたい。こんな思いでガイドに臨んだが、「みな反応がよく、何か教えたらすぐに返ってくる。意外に知識があって、ちゃんと勉強して来ていた。空気の読める知性の高い若者たちだった」と、ツアー参加者たちを絶賛する。チョッとホメ過ぎでは?とたずねたら、お茶を出してくれた先生の奥さまが、「家に帰ってきてから『みんな真剣に聞いてくれた』と話していたんですよ」と口を添え、裸心・湿原ツアーの印象は本当に強く心に残った様子だ。

吉田先生ご夫妻






現在72歳の吉田先生だが、「年を取ったガイドは自分くらいしかおらず、北海道で一番年を食った現役です。(教える立場で)ガイドたちをガイドしていますから」と笑う。先生がガイドを無償(!)で始めたのは1979年のバード・ウォッチングからだというから、かれこれ30年近いキャリアになる。「釧路湿原のガイドは始まってまだ5、6年。ガイドの平均年齢も50代です。先駆者としての苦労ですか?それはなかったです。ただ楽しかった。だから勉強も楽しくできて、刺激を受けながら謙虚に取り組めた。気持ちを純朴にしないと自然の中には入れませんから」。途切れることなく続く、熱のこもった言葉は年齢を感じさせず、なんとパワフルな方なんだろうと思わずにはいられない。

「客の食いつきが悪い、というセリフを耳にする時がありますが、それはお客さんが悪いのではなく、ガイド自身の熱心さがどこまで伝わっているか。真っ白なお客さんをどう染めるかはガイド次第だと思うんです。例えば、帰りのバスの中から、案内した方々が私に向かって熱心に手を振ってくれるのがバロメーター。中には、撮った写真や絵手紙などの手紙を送ってくれる方もいます」。

吉田先生











先生がガイドの際に心がけるのは、科学的根拠や裏づけに基づいた説明だという。「昔はこうだった、というセンチメンタルな感情だけではなく、『科学する心』で若い人たちに湿原の姿を伝えたい。それを積み重ねることで、後の世代の人たちが、かつての湿原の姿を具体的に呼び戻せるかもしれませんから」。だから、先生の勉強の範囲は自然科学だけにとどまらない。歴史や気象、動物学、人類学、社会学…とジャンルは幅広い。「自らガイドすることで学習をします。その積み重ねが楽しくて、学習意欲につながっていくんです。お出でいただいたお客さんに自然のよさをお伝えするため、調べて最新の変化をお話しする。それをお客さんが喜んでくれ、これをきっかけに自然の豊かさが戻ればそれだけで十分です。お客さんたちを自然学習に連れて行ってあげられるよう、7人乗りの車も買いました」。割に合わない高い買い物だったとはもちろん思わない。

「強いて挙げれば、鳥の写真を撮るのが私の趣味です」と、その生活はまさに自然一色だ。「趣味を仕事にしているのが私の原動力。若い頃には、1週間飲まず食わずで、クマゲラの観察をしたこともあります。北海道の自然はまるで私のためにあるみたい、とすら思えるんです」。大自然の中に身を置き、そしてそこから得られる感動が、先生にとって無上の喜びなのだ。「まだまだ知らないこと、分からないことがある。人間、一生勉強です。真理の探究は面白い。それが私にとって喜びですし、年齢を問わず脳の活性化につながると思っています。暇さえあれば、体も動かして鍛えていますよ」という若々しい言葉を前に、実は(心が)年老いているのは、インタビュアーであるわれわれの方ではないかという気さえする。

吉田三郎・写真「キレンジャク」






昔の自然の姿を取り戻したい。これが先生の目標であり、人生の目的だというが、「今の現状も素直に受け入れています。それが地球の歴史なのだから。でも、自然があった方がより良いことだから、そこに一歩一歩近づけていきたいのです」。そしてこうも言う。「『手のひらを太陽に』(※作詞:やなせたかし 作曲:いずみたく)という歌の中に、『みみずだって おけらだって あめんぼだって みんなみんな生きているんだ 友達なんだ』という歌詞があります。この歌詞を作った人はえらいと思う。若い方たちに、地球を守ってくれた自然にもっともっと関心を持ってもらいたいし、これからもその豊かさを伝えていきたいです」。

インタビューの間中、「体調を崩して入院した際に、髪の毛を剃ってしまったから」と、ニットの帽子をかぶって離さなかった吉田先生。「しょうしい、しょうしい」と口にするので、言葉の意味をたずねると「『はずかしい』という意味の越後弁です」と答えが返ってきた。北の大自然にあこがれて、生まれ育った新潟県から、23歳で単身北海道に渡ってきたという先生は、それから約半世紀がたとうとする今も、変わらぬその情熱と共に、豊かな自然の水先案内人として湿原の上を歩き続けている。
                                (取材協力・星野高志)

活き活き人緊急インタビュー・『日本縦断!!就職冒険日記』番外編・後編

畠山副代表が見事内定を勝ち取った就職先は、三重県伊賀市の山中にある『農事組合法人(※1) 伊賀の里モクモク手づくりファーム』。道民にはなかなかなじみのない名前ですが、モクモク手づくりファーム(以下、モクモク)についてもディープに語ってもらいました(^.^)

― モクモクの衝撃 ― 

活き活き人スペシャル畠山3







H「モクモクを知ったのは、前の職場(中小企業家同友会)でモクモクの専務理事さんの講演会を聞いて。1個の組織体として『いかに社員をその気にさせるか』『いかに社員のヒラメキを引き出すか』ということを理論的に考えていて、経営戦略的な話も含めてスゴイなぁと思いました。モクモクが面白いのは、1つの企業が一次産業、二次産業、三次産業を、全て包括して成り立たせているということ。1つの地域の中で食料を作り、再生可能なエネルギーを使いながら、人間関係のコミュニティを作るといった、自分のやりたいことがそこである程度行われていることに衝撃を受けましたね。社員は全国各地から集まっています。自分がモクモクに泊り込んで研修生活を送ったのは、昨年10月から12月の3ヶ月間ですが、研修生は就職を目指して来た人や、モクモクの先駆的な取り組みやノウハウを学んで帰りたいという人、中には路頭に迷って『ここにいたら三食メシが当たるから』という人もいましたね(笑)。」

― モクモクでの出会いから ―

H「学校のカリキュラムで、2週間ほど研修に来た女の子がいたんですが、彼女はグリーン・ツーリズム(※2)の観点からモクモクを評価し学びたいということだった。でも、それとは直接関係のないレストランなどに配属され『こんなことをやっていても私にはなんの学びもない』と言っていた。こんな姿勢ではなにも学べないと思い、『全然興味のないレストランでも、人の動かし方や接客のやり方など、いろいろなものを1つでも2つでも吸収してやろうという姿勢じゃないと、なにも得られないで終わったということになっちゃうよ』というような話をしました。彼女はちゃんと受け止めてくれて姿勢を改め、別れ間際に『そんなことを言われてよかったです』と話して帰っていきましたね。」

― モクモクでやりたいこと ―
H「二番煎じのような気がするんだけど(笑)、活き活き人のような視点でモクモクの社員を取り上げてみたい!そこで働く社員の生い立ち、どういった経緯で入社に至ったのか、仕事への熱い思いなどをざっくばらんに聞きながら、いわば『モクモク人』的な切り口で紹介し、お客さんにも伝えたい。モクモクの企業プロモーションビデオも作りたいという野心もわいてます(笑)。自分はレストランに配属される見通しですが、1、2年後には店長を目指し、人をどう配置し、どう持ち味を生かして回していくかといった仕事を任されると思います。研修の時も、レストランでお客さんと接していて面白かったし、ホール内を広く見渡して気を配るのも、裸心のイベントや会場で参加者が何を求めているかを察知するといった、全体を見渡して対応する感覚に似てる(笑)。今までやったことのない形で、レストランの面白いイベントも企画してみたいですね。見方や考え方によっては、ある意味毎日がイベントだし(笑)。要は自分がどう楽しんでやるか。いかに楽しくやるかという自信もあります。志を共にできる仲間と、楽しくやってやろうという希望で今はいっぱいです。」

― 畠山流・人間関係作り ― 

●モクモクでも生かされた、人間関係作りのポイントは?

H「人に対して好奇心を持つことが必要だと思う。その前提として、互いの違いを認め合う気持ちが大事。新たに出会う人から、自分とは違う生き方や知識を吸収しようという視点でとらえると、いろいろな人との出会いが楽しくなる。それが今の自分の行動の原点でもある。そして、どんな場でも勇気をふるって一歩踏み出すことが必要。3年前に札幌から釧路に転勤して来た時も、知り合いは誰もいなくて、なんとか糸口を見つけて人と知り合いたいという思いがあった。さまざまな機会を積極的にとらえて、きっかけを自ら作ったことで今の自分がある。きっかけは誰かが与えてくれるものじゃない。時には誰かが演出した場に乗っかることも必要だけど、どこかで勇気を振り絞らないと。」

●では、最後にみんなへのメッセージをお願いします!

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H「各地を回って出会った人と、裸心の話をすると『そういうの、いいねぇ』と言ってもらえた。釧路に限らず、どこの地域でも人と出会う場が求められ、必要とされているんだなぁと思う。自分のように裸心を離れ、新天地に行く人が他にもいるだろうけど、裸心での経験は間違いなく生きる。自分の不完全さを認めて、かつ相手を受け止める気持ちを持って積極的に人と接すれば、どこへ行っても打ち解けてやっていけるよ、とみんなにエールを送りたい。ボクが戻って来た時、裸心がないのは寂しいから、裸心は永遠に活動してください(爆)。」

※1 農業協同組合法の規定に基づいて設立された、組合員の農業生産についての協業を図ることで、その共同の利益を増進することを目的とした法人。

※2 農村漁村地域において自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型余暇活動。

緊急インタビュー・『日本縦断!!就職冒険日記』番外編・前編

緊急インタビュー・『日本縦断!!就職冒険日記』番外編・前編

今年2月、あの男が釧路に帰ってきた―。その名は「なんちゃって副代表」(笑)こと畠山義明。職場を退職後の昨年7月末、釧路を旅立ち日本縦断の就職冒険旅行を繰り広げていた彼が、このたび三重県で再就職を決め、おなじみのブログ『日本縦断!!就職冒険日記』に、ついに終止符を打ったのでした。この凱旋の一時帰釧に合わせ、約半年間の冒険旅行を振り返る緊急インタビューを行いました。いわば『就職冒険日記』番外編(^.^) 実際に彼が日本各地で見聞きした出来事や、体験し肌で感じたことなどをご紹介します。どうぞご覧ください! 

― 旅先での出会いから ―

●出会った人で、特に印象に残っているのは?

活き活き人スペシャル畠山1







畠山(以下、H)「清里町の清里イーハトーヴユースホステルで知り合った、山登りの好きな関西のオジサン。チェックインしてすぐに、隣の部屋にいた60歳近いオジサンが、なんでか知らないけどノックして入ってきた(笑)。それがきっかけでご飯を食べたりお酒を飲みながら、1日中話してたら、山の魅力についてスゴク語るんです。そんな話を聞きながら、自分は山登りに全然興味がなかったのにちょっと興味がわいた。オジサンが話す富士山の素晴らしさを聞き、今回実現はできなかったけど、一生に一度は登ってみたいなと。でも、自分の今度の就職先が山の頂上みたいな場所だから、働くところが山登り状態で不思議なめぐり合わせというか(笑)。改めて人との出会いを通じて刺激や影響を受けるもんだなぁと実感しました。再会できたら会いたいですね。」

●悪い意味で印象に残っているのは?

H「長野県の健康ランドでお風呂に入ってた時に知り合った、30代半ばの男性。日本縦断の旅の話をとても興味深く聞いてくれて、ぜひ一緒にご飯を食べようよと、健康ランドの宴会場でご飯やお酒をごちそうしてくれた(笑)。その人は旅館にAVの放映機を設置する仕事に見切りをつけ、パソコン関係の仕事に転じたばかりの方だったんだけど、後悔の念に駆られまくっているように感じた。20代後半の自分がやりたいことをやっている話を『いいねぇ。いいねぇ』とうらやましそうに聞いている様子から、やりたいことをやらずに来た結果として現状に満足できず、自分の話に興味を持ったんだと思う。」

●ある意味対照的な2つの出会いから感じたことは?
H「山登りのオジサンから、1人の人間の生き方の手本みたいなものを学んだ気がする。自分のやりたいことを見つけて、仕事とプライベートを両立させながら、あんな年齢になってもそれに向かって実際に行動していることに刺激を受けましたね。」

― 畠山副代表の目に映った格差社会 ―

活き活き人スペシャル畠山2







H「東京に行って、六本木ヒルズのような超高層ビルに入ったら、中では1枚4万円もするようなきらびやかなシャツが並んでいる。一方、年明けに行った大阪で、新今宮の駅高架下にある、普通の人がおっかながって寄り付かないような『ブルーテント街』というスラム街を歩いてみた。住人から漂う異臭がすごく、自分と年齢の変わらないような意外に若いホームレスもけっこういて、何をするでもなくダラーッと横たわっていた。自分が食べなかったお菓子を『捨てるくらいならあげたいな』と置いてきました(笑)。同じく新今宮駅の近くで、路上でたこ焼きを売っている人が、その日の売れ残りを近くのホームレスに配っているのを見て、こういう人たちはお互い助け合って生きているんだなと改めて思ったり、東京の駅でホームレスがチームで協力して、捨てられた雑誌を拾い集め、手作りの簡易売店で半値くらいで売っているのを見て、連携してのたくましい姿に、なんとも言えない感じがしました。自分なりに実際の現場を見て、釧路じゃ分からない格差の現状を感じましたね。だから自分にどう出来るかというと、何も出来ないんだけど。」

●では、各地の中心街の現状は?

H「どこも似たりよったり。釧路の北大通と同じく、人通りがなくて商店街にシャッターが降りている。郊外の国道沿いに大型店がいくつもあって、中心街に人の姿がなくてという光景は、面白いくらいどこでも同じだった。そんな中で思い出すのは、商店街ではないんだけど長野県・小布施町。人を楽しませる創意工夫に富んだ仕掛けがある。一軒一軒のお店が歴史的建造物を生かした、思わず写真を撮りたくなるような店作りで、足を止めて見たくなる個性的な商品を扱っていた。自分用に小布施堂の栗菓子を買い、栗アイスを食べた(笑)。歩いていて楽しく、また来たいなぁという気にさせられたし、他の人にも勧めたい。釧路は中心街活性化のために何もやっていないとは言わないし、がんばっているなぁとは感じるけど、まだまだやれることはいっぱいあると思う。人が集まる場所と、そうでない場所との明確な差の違いを実感しましたね。」
(続く)

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