裸心PJの映画好きが集まり、映画談義を肴に酒を飲む会がある。市内末広の一画にある韓国料理店で、杯を重ね料理に舌鼓を打ちながら、この日の話題である韓国映画について話していた時だった。どこか郷愁を帯びて聞こえる店名の『こひゃん』という響きに、ふとその意味が知りたくなって彼女に尋ねた。店を選んだ幹事役の彼女はこう教えてくれた。ふるさと、という意味だと―。

            第19回 活き活き人 松本祐子さん

             〜 彼女をめぐる5つの組曲 〜

2006年3月、札幌。「窓側はお客さまが座る席だ!お前らは通路側に座れ!!」。研修用のバスに乗り込み、窓側の席に何気なく腰を下ろした時だった。研修生たちに教官の怒声が飛び、彼女は慌てて通路側へと席を移した。道内を1周する添乗員(ツアーコンダクター)研修がこうして始まった。層雲峡や小樽運河、登別温泉、阿寒湖温泉と観光名所を駆け足でいくつも回る10日間の日程だ。朝は6時前に起きてホテルの朝食会場のチェックの仕方などを学び、夜は旅程を管理する裏方の心得などの勉強会が遅くまで続く。「添乗員は声がよく通らなければ務まらない。今から発声練習だ!」。函館・朝市の前で突然、道行く大勢の観光客らを前に、自分がなぜ添乗員になりたいかを大声で叫ばされた。鬼教官のスパルタ教育の下、常に人としてのマナーが厳しく見られ、そして問われた。何でもできるはずだと思っていた自分が、さんざんに怒鳴られ泣かされた10日間。全日程を終え、彼女は思った。「(自分を)素っ裸にされた」。学生時代から憧れた海外での仕事に就くチャンスだ。そう思い、釧路の商事会社のOLを辞めて身を投じたのだから、今さら自分には向いていなかった、無理だとは言いだせない。「やるしかないんだ」。彼女はその場に踏みとどまった。
活き活き人・松本祐子






2007年8月。参加者だった年上の友人に連れられ、彼女は初めて裸心・金曜の会に姿を見せた。自称・あがり症の小心者。緊張を感じながらも他の参加者たちとの会話の輪に加わる中、彼女は2ヶ月前のあるネットコミュニティのオフ会のことを思い出していた。友達が欲しいという思いから、勇気を振り絞り参加したそのオフ会で、世代の違う20代前半の若者たちの中に、身の置き所がないまま座り続けた苦い出来事があったのだ。「今度は失敗したらイヤだな」。事前にチェックした裸心のブログには、一歩を踏み出して参加し活き活きと輝き始めた参加者たちの姿が紹介されていた。「もう1度勇気を振り絞れば、自分の居場所があるかもしれない」。金曜の会の後の二次会で、さほど年の変わらない参加者たちとお酒を飲みながら談笑し、帰り際に時計を見たら針は午前3時を回っていた。あのオフ会で2時間苦痛を味わったのに、裸心では3時まで過ごせたんだ―。心から語れ、ありのままの自分を受け入れてくれる仲間との出会いに、居場所を見つけたかもしれない、と彼女は思った。
活き活き人・松本祐子






2006年6月、仙台。駅前の夜のオフィスビルの3階で、彼女はデスクに1人向かっていた。大手英会話学校のマネージャー。それが彼女の肩書きだった。6人の外国人講師をマネジメントしながら、月1000万以上の売り上げを稼ぎだすため、無料体験レッスンをして受講生を確保し、アルバイトを採用・教育、そして経理と仕事はすべてこなした。ノルマを達成するために、自分の時間を削って夜中まで働き、友達と飲みに行く時間すらない日々が続く。人気がないと仕事が割り当てられず、道内勤務では海外で添乗員として活躍するのはまず無理というシビアな世界に見切りをつけ、得意な英語のプロフェッショナルとして第一線で働きたい。こんな思いで転じた新たな仕事は、自分が思い描いていたものとは違っていた。「やるしかないんだ」。腹をくくって目標達成のために一生懸命働き、どんどん肩書きは上がっていった。4ヶ月で部下を5人持ち、彼らに営業ノウハウを伝えるまでになったが、唯一の休日は誰とも話をしたくなくて1日中自宅で寝ていた。「こんな生活でいいのか」。そして気づいた。「人がお金としか見られなくなった」。そんな時、釧路の古巣の商事会社で自分の後任が退職するという、風の噂を耳にした。無理かもしれないが復職を掛け合ってみよう…。そして2007年4月、刑務所から解き放たれた思いで、彼女は釧路に戻ってきた。
活き活き人・松本祐子






2007年9月。網走原生牧場観光センター、オホーツク流氷館と巡る裸心・網走バスツアーの車中に彼女はいた。1人で参加を決めたので、まるでアウェーにいる心境だった。緊張から来る疲労を覚えながら思った。「(裸心には)いろんな人がいるんだな」。昼食のバーベキューや車内でのゲームと時間が過ぎていき、日帰りのバスは夕暮れの釧路に戻る。家路に就きながら彼女はツアーのことを考えていた。「ボクには暗黒時代があるんです」とほがらかに語るあるスタッフの印象的な言葉や、スタッフたちがツアー参加者のために全力を出す姿が羨ましく思えたことを。「今まで自分のためだけに生きてきたわたしも、人を喜ばせたり役に立つことができたら」。心の中で少しずつふくらんだ思いは、今年2月の第4回『映画を語る会』の幹事役として小さな実を結んだ。当日語る映画のテーマを決め、資料に配布するレジュメを作り、雰囲気のあるお店を選んでと、集まったみんなが笑ってくれる姿をあれこれ想像しながら迎えたその夜は、参加者たちはもちろんのこと、彼女自身にとっても楽しい2時間となった。
活き活き人・松本祐子






2008年7月、釧路市武佐の森。午後の日差しが照りつける緑の中の遊歩道で、彼女は裸心スタッフのインタビューを受けていた。そこは、一月前に裸心・武佐の森&春採湖散策ツアーで訪れた場所だ。釧路のような田舎で自分の人生を終えたくない。男勝りのキャリアウーマンになって都会でバリバリ稼いでみせる。そんな夢を抱いてかつて背を向けたこのマチが、年を重ねるごとに人間らしくていいな、と思えるようになってきた。手を伸ばせばそこに山があり、川がある。幸せの原点だと彼女は思う。裸心を通じて地元のよさをあらためて教えられた。自然に触れている時間が一番の癒しだと今は感じる。「(自分にとって)なにが幸せなんだろう?」。居場所を求めて模索を続けた過去を振り返りながら、彼女は自問自答した。「いつか必ず英語のプロとして働きたい。安住の場所を得るために自分はベストを尽くす。わたしは死ぬまで旅人なんだ」。彼女はこの秋、札幌へと転勤する。好きな英語をもっと学び、英語の仕事に携わるチャンスが再び巡ってきた。もう少し釧路にいられたら、とも思う。「家族とは違うふるさと」。あなたにとって裸心とは?と尋ねられたらこう答える。釧路を離れても「そんな人、いたよね」と思い出にされることなく、これからも参加し続けていきたい。「ためらわずに言いたいことを言い、やりたいことや思っていることにチャレンジしようよ、とみんなに伝えたい。夢は誰かに話してみるのが一番。そこから人に広がっていくし、人に夢を語ることは、人に夢を与えるのと同じだと思うから」―。彼女の長いインタビューが終わった。

          (インタビュー/構成:及川義教、写真協力:星野高志)