今年1月から始まった「活き活き人」企画。
これまで6人の方々にこの企画の趣旨を理解して頂き、
登場してもらいました。人選は当初相原君が進め、
4回目からスタッフによる話合いで決めてきました。
6人ともやはり「活き活き人」の名にふさわしく、
考え方1つを取ってもとても前向きで、退屈という言葉からは
ほど遠い毎日を過ごしている方々ばかりでした。
逆に、取材を通じこちらがパワーをもらうこともありました。

今回の活き活き人、川島剛さんは私・グルメっ子が初めて
「この人に出てもらおう」と強くスタッフに推した方です。
「自分が出たところで立派な事は話せないから」と謙遜する
川島さんに無理に出てもらった格好です。
なぜ、そこまで川島さんにこだわったのか?
それは、川島さんが7月のキャンプで言った
「釧路に来て今が一番楽しい」という言葉が
とても心に響いた以上に、裸心に出会うまでの川島さんと
かつての自分がだぶって見えたのです。


           第7回活き活き「人」川島剛さん
             (2006年9月号)
             
―「これでは釧路に来た意味がない。辛いこともあったけど、それ以上に想い出を語ることができたら」―


第7回活き活き人川島釧路は出生の地であり、生まれてからの3カ月間をこの土地で過ごした。そして30年近い時を経て、昨年4月に再び釧路へ。来釧した当時、土日は図書館に通ったり、1人で遠出などしていたという。その当時を川島さんは「私は楽観的なので何も考えない方ですが、さすがに1年2カ月もこのような日々が続くと、“やばいなぁ”と思いました。親も転勤族だったので釧路に来ることは何てことはないと思っていたのですが。大学受験より苦しかったですね」と振り返る。





第7回活き活き人川島「これでは釧路に来た意味がない。辛いこともあったけど、それ以上に想い出を語ることができたら」―その思いで川島さんは、交流ができるサークルや団体をインターネットで調べるようになった。その延長線上で知ることになった裸心プロジェクトの存在。「飲み会やフットサルのサークルなどもあったけど、裸心が自分にとっては一番マッチしていた。まさに、ど真ん中ストレートでしたね」。





そして、初めて6月に行われた金曜の会に参加。
「1人で行ったのもあるし、さすがに緊張した」が、
「大人の配慮なのか、参加者の方は色々と気を使ってくれた。
相原君も初めての人と打ち解けるのが上手いなあと。
また参加してみたい」と思ったという。
そして数日後、その時の参加者から手紙が届き、今ではその手紙を
出した方と飲みに行ったりしているという。


第7回活き活き人川島






これ以降、川島さんは裸心プロジェクトのイベントにほぼ毎回参加するようになり、トレードマークである自転車をイベント会場付近で多く目にするようになった。

また、川島さんと同時期に裸心プロジェクトを知った参加者同士で
定期的な飲み会をやるようになり、この集まりは川島さんの
人柄からか「川島商会」と呼ばれている。
「6月から9月にかけて生活のペースが変わってきました。
現在は大雨の後に薄日が差し込んできた感じです」


そして、この裸心プロジェクトの良さについて川島さんは
「英会話講師から聞いた話ですが、アメリカは転勤が
盛んなため、全米各地で異業種交流が行われているようです。
このような仕組みはどこに行ってもあるべきだと思うが、
日本にはこのような文化がない。そう考えると
(転勤族を主な対象としている)裸心プロジェクトは
進んでいると思う」と話し、「これからも頑張って欲しい」
と関係者にエールを送る。


これからも続いていく裸心プロジェクト。
そして私たちはあの自転車をこれからも会場付近で目にするに違いない。

(写真撮影・及川義教